9.政府役人とのお付き合い
筆者が有名ブランドを持つ日系現地法人の取締役であったことも一つの要因でしょうが、インドネシア政府の高官達は驚くほど気楽に会って話を聞いてくれました。一番お世話になったのは工業省でした。局長レベルではアポ無しで訪ねて行っても、2時間くらい待たされることもありましたが、嫌な顔もせずに会ってくれました。
足繁く顔を出していると、省内で新しいプロジェクトを立ち上げる際などは、民間の外資系企業からの意見を述べる役割として、総局長あたりから突然の同行を求められることもありました。そんな関係を築いていたことが功を奏して、筆者が関係していた仕事の業界組合を新設する時も全面的に支援してもらうことが出来ました。ジャパンクラブの法人部会からは、あまり個人プレーはしないようにとの注意を受けましたが、筆者の属していた部会はマイナーな部会で、ほとんど注目されないところでしたので、仕方ないことでした。
外国人であり、当時はまだ30代であった筆者が、色々な官庁に気楽に出入り出来たのは、実はインドネシア人のマネージャーが常に裏で動いてくれていたからに他なりません。彼は常日頃から官庁の課長くらいの人達を昼食に誘ったり、金曜日は一緒にイスラムの礼拝堂でお祈りをしたりして、ネットワークを構築していたのです。そのための交際費は黙認していましたが、新任の日本人経理責任者に、鬼の首を取ったように、青筋を立てて責め立てられた時はほとほと困り果てました。一ヶ月に使う金額は、日本人が一晩で使う接待費にも満たないのに・・・。
しかし、いわゆる贈賄と言われることだけは出来るだけ避けて来ました。年一回の断食明けには付け届けを欠かさないとか、何かおめでたいことがあった時にはお祝いの品を贈ることはあっても、現金を渡して何かの便宜を図ってもらうことはしないようにしていました。時々、見せしめのスケープゴートとして、日本人駐在員が贈賄の罪で挙げられて、ジャカルタ市内の刑務所に3年間入れられた、などと言うニュースも聞かされました。今年も、ある商社の現地駐在員が逮捕されたとのニュースがありましたが、今でも続いているようです。最近は汚職の広まりが酷いので、余計に注意が必要です。
インドネシアの政治のトップは大統領と副大統領で、その下に経済、法治、福祉分野を統括する三人の調整大臣が控えているのが特徴的です。各省には大臣と副大臣が居り、その下にいくつかの総局があり、総局長と呼ばれる人達が実務を取り仕切っています。日本で言うところの事務次官に相当すると思われます。この人達と局長レベルまでが実に忙しそうで、来客も非常に多く、朝早くから、夜遅くまで仕事に追われている様子でした。
それとは別に、課長から下の人達は実に暇そうで、来訪者を見付けるとすぐに数人が『どうした、どうした』と寄って来るのが常みたいでした。新聞を広げている人、同僚と世間話をしている人、お祈りに行っている人など、広いフロアにはたくさんの人達が居るのですが、いつものんびりとした空気に包まれていました。
彼らとお付き合いをしていて困ったのは、イスラム教にとって聖なる金曜日には実質的に仕事をしないことでした。午前中は昼前になると皆で近くのモスクにお祈りに出かけ、戻って来るのは午後の2時過ぎでした。そして3時になると早々と帰宅してしまうのです。イスラム教でない職員も同じように行動しているので開店休業状態です。
インドネシアは基本的には法治国家です。30年間続いたスハルト独裁政権が1998年に崩壊し、その後の混乱期を乗り越えて、2004年に初めて国民の直接選挙で選ばれた、現職のユドヨノ大統領の下、汚職も増えていますが、法治国家としての基盤強化が進んでいると思われます。
しかし、インドネシアの良き文化や慣習もしっかりと残っているし、これからも簡単には変わらないでしょう。それは、ムシャワラ(話し合い)、ゴトンロヨン(相互扶助)と言った人間関係を大事にすることで、法律や規則などよりも優先される光景は良く見られます。会社のお金を不正に使うなど、就業規則に違反して解雇されたスタッフが、一年も経たないうちに会社を訪れ、昔の同僚達と安否を確認して喜び合っている姿は、日本人にはなかなか理解出来ないと思います。彼らに言わせると、神アッラーの許しを得たから構わないとのことでした。
お役人も同じと思います。法律上は制約があるが、あなたが困っているなら何とかしましょう。逆に、法律上は可能であるが、それでは困る人がいるから認められない。そんな場面に出会うこともあるでしょう。
次回のテーマは、10. 日本には無い日本人社会、です。ではまた来週お会いしましょう。