インドネシアで仕事をする時の小話的アドバイス 【会社への帰属意識】
インドネシアの一般従業員にとって、年一回の家族を含めた社内旅行やスポーツ大会は、現在の日本人が想像も出来ないほど楽しい、そして待ち遠しいイベントであるようです。ですから、ある年に、諸事情からそれまでのイベントを中止することになった時の従業員の落胆は予想をはるかに超えたものでした。イベントに連れて来た家族に対する得意満面の笑顔を思い出すと、多少無理をしてでも継続すれば良かったと、今でも後悔しています。
特にジャワ人は日本人と良く似た農耕民族で、会社という村社会を重要視するように見えました。特に典型的なジャワ人気質を持った総務部長は、従業員を非常に上手くまとめてくれたのですが、その基盤になっていたのが、会社は出来るだけ従業員の面倒を見て上げるべきという信念でした。
私生活の面で苦境に立たされている従業員に対して、会社の福利厚生で解決出来る範囲は限られていましたので、多くの同胞の従業員の悩みや苦しみを一手に引き受けていたせいか、彼の表情は年々苦悩に満ちたものに変わって行きました。
会社の規範を少し逸脱していると思われる処理も時々ありましたが、彼の苦悩を少しでも緩和出来ればと良いと考え、多少のことにはめくらサインをしたものでした。おそらくそのことを意味していたと思うのですが、帰国に際して『小野さんはインドネシア人側に立ってくれたので本当に助かった』と彼に言われた時には、嬉しいのと後ろめたい気持ちが混じり合って、返事に窮したことを憶えています。
現地で親しくなった華人の経営者からは『あなたはインドネシア人従業員に甘過ぎる』と言われました。日本に帰国する前から本社では、『小野はインドネシアに同化してしまい、日本では使い物にならない』と話している人もいると聞かされていました。しかし、帰属意識を高めるために取った行動は、その功罪を評価すると7対3の割合で功が罪に勝っていたと、今でも確信しています。