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2017.11.06 インドネシアでの仕事のアドバイス

インドネシアの労働組合

現地のウェッブサイトにとても簡潔で判り易い労働組合法の要点と歴史が掲載されていましたので、概要を日本語に翻訳しました。

インドネシアの労働組合法要点

1.労働組合についての定義は労働法2003年第17号第1条で規定されている。
2.労働組合の機能については労働法2003年第17号第102条および労働組合法2000年第21号で規定されている。
3.労働組合連合は三つ以上の労働組合連盟で構成され、労働組合連盟は五つ以上の企業内労働組合で構成される。
4.企業内労働組合は10名以上の従業員で構成される。
5.会社の従業員は毎月Rp.1,000からRp.5,000の組合費を支払うことで誰でも労働組合に参加することが出来る。
6.組合員になることで従業員としての権利がより強く保証される。
7.従業員は会社内の一つの労働組合にしか参加出来ない。
8.一つの労働組合は一つの労働組合連盟にしか参加出来ず、一つの労働組合連盟は一つの労働組合連合にしか参加出来ない。
9.組合員は労働組合員であることを辞めることが出来、辞めさせることも出来る。
10.労働組合結成の通知と登録の方法は労働組合法2000年第21号第18条から第24条で規定されている。
11.労働組合、労働組合連盟ならびに労働組合連合は会社との間で労働協約を交わし、労働者を代表する権利を持つ。

インドネシアにおける労働組合の歴史

1878年 白人に限定したオランダ語教師の労働組合結成の動きが出る。
1879年 オランダ語教師労働組合NIOGが発足。
1905年 郵便局員労働組合Pos Bondが発足。
1906年 農園および砂糖労働組合Zuiker Bondが発足。
1907年 公務員労働組合が発足。
1908年 鉄道員労働組合VSTPが発足。
1909年 後の華人労働組合連盟が発足。
1911年 土着民税関職員協会PBPPが発足。
1912年 土着民労働組合と補助教員団PGBのイスラム商業組合SDIが発足。
1913年 鉄道労働組合Spoor Bondが発足。
1914年 土着民質屋職員労働組合PPPBが発足。
1915年 民間企業労働組合SPPPが発足。
1916年 アヘン労働組合ORBが発足。
1917年 砂糖工場労働組合が発足。
1918年 一般労働者組合PKBOなどからなる工場労働者組合PFBが発足。
1919年 労働者運動団体PPKB発足。
1920年 工場労働者組合PFB も参加して72ヶ所の砂糖工場で2万人以上の労働者によるストライキが発生。
1921年 世界的な砂糖価格の暴落により賃金の削減と労働時間の増加が労働組合の活動を過激化し、植民地政府による取り締まりも強化される。
1922年 スラバヤの港湾労働者が労働環境改善のストを行う。労働者運動団体PPKBと職員革命組合が合流したインド組合団体PVHが発足。
1923年 鉄道職員がストライキを行うが失敗に終わる。植民地政府がストライキ禁止法を施行する。鉄道労働組合と鉄道員労働組合VSTPがモスクワに本部を置く国際労働組合連盟IFTUに加盟する。職員革命組合が赤軍国際労働組合に加盟する。
1924年 インドネシア労働組合が、フィリピン、インド、日本そして中国の労働組合と共に、広東での海運労働組合連盟の会議に招待され、国際的な労働組合組織との繋がりが次第に強化される。
1926年 革命活動家の大規模な逮捕に続いたインドネシア共産党の政治活動の失敗の結果としてインド組合団体PVHが発足。
1930年 民族闘争活動に追従したとの疑いで、植民地政府によりインドネシア労働者組合SKBIが解体される。
1932年 国家公務員組合団体PVPNとインドネシア労働者組合団体PSPIが結成される。
1937年 国際労働機関ILOのHarold B. Butle理事がインドネシアの労働者の生活環境改善の視察にインドネシアを訪問。
1938年 労働組合と共に労働者の権利と保護を保証する政治活動が起こる。
1940年 植民地政府が民間企業における労働者を保護するための法律ORAを施行。
1945年 インドネシア労働戦線BBIが発足。インドネシア女性労働戦線BBWも発足。
1946年 BBIが解散してインドネシア労働組合同盟GASBIが発足。一方でそれに同意しない組合により垂直労働組合同盟GASBVが発足。その後、GASBIとGASBVが合体してインドネシア全国労働組織センターSOBSIが発足。
1948年 SOBSIがインドネシア労働組合連合から脱退。
1957年 スカルノ大統領が開設した国家企画委員会の77議席のうち、5議席が労働者の代表であるSOBSI, SOBRI, RKS, KBKI(2名)に与えられる。また、最高審議委員会の2議席がSOBSI, KBKIに与えられる。
1973年 政府に認可された唯一の労働組合としてインドネシア全国労働組合SPSIが発足。
1990年 最初の独立労働組合として独立盟友労働組合SBM-SKが発足するも、内部抗争と政府からの圧力により活動を中止。
1992年 Abdurrahman Wahid (NU), Sabam Sirait (PDI)などの支持を得て、インドネシア幸福労働組合SBSIが発足。
1993年 メダンの海老加工工場で7名の労働者が政府の認可していないSBSIに加盟したことで解雇される。
1994年 国際自由労働組合連盟がインドネシア政府をILOに訴える。インドネシア労働闘争センターPPBIが結成される。SBSIの労働組合としての登録申請が再び却下される。
1995年 13の産業下部組織を持つインドネシア全国労働組合SPSIがインドネシア全国労働組合連盟FSPSIの名前で、唯一政府に認可された労働組合連盟となり、これ以外の連盟に組合が加盟することが禁止される。
1996年 PPBIがスラバヤでスハルト政権時代最大規模の15,000人によるストライキを決行する。
1998年 インドネシア幸福労働組合SBSIが政府により認可される。
2000年 Abdurrahman Wahid大統領により労働組合法2000年第21号が制定される。
2003年 12の労働組合からなるインドネシア労働組合連合KSPIが結成される。