人間の大地(Bumi Manusia)読書感想文
インドネシアの作家プラムディヤ・アナンタ・トゥールの以下の作品シリーズ(押川典昭訳)を読みました。
①ゲリラの家族(プラムディヤ選集1)
②人間の大地・上(プラムディヤ選集2)
③人間の大地・下(プラムディヤ選集3)
④すべての民族の子・上(プラムディヤ選集4)
⑤すべての民族の子・下(プラムディヤ選集5)
⑥足跡(プラムディヤ選集6)
⑦ガラスの家(プラムディヤ選集7)
作者のプラムディヤ・アナンタ・トゥールは1965年の共産党クーデターの後、共産主義者の嫌疑でジャカルタから東に2200Km離れたブル島に10年間も勾留され、その間にこれらの作品を同じ境遇の政治犯たちに語って聞かせたとされています。
一時は発禁処分になったこともあったようですが、現在では日本語訳も刊行されており、私はインドネシアに住む日本人の知り合いからこの本の存在を紹介されて、押川典昭訳の日本語版を読みました。
①ゲリラの家族だけはシリーズ外の作品で、オランダ植民地の末期に独立運動に命を捧げた兄弟と、残されたその弟妹の苦闘、そして苦悩の末に気が狂ってしまう母親の姿を描いた物語です。
そして、②人間の大地・上から⑦ガラスの家はミンケと言う名のジャワ人の青年の、波乱万丈の生涯を描いた物語になっています。
物語の舞台はオランダ植民地時代の最後の頃のスラバヤの南に広がる砂糖黍畑で、ミンケはその地域の県知事の息子であるにも拘わらず、親の反対を押し切って言論の世界に入って行き、最後はオランダ植民地政府の手により殺されてしまうのです。
この物語を通して描写されているのは、オランダ人が現地の人間に対してどんなに非道なことを繰り返して来たのかであり、その一つとし水田を砂糖黍畑に変えさせられて飢えに苦しむ農民家族の悲劇が語られています。
また、この時代は支那大陸ではアヘン戦争で清朝が倒れ、ジャワにもアヘンが蔓延っており、それにより身代を潰すオランダ人農園主の姿も描かれています。
ミンケと言う名前はオランダ人教師が『猿』をもじって付けた渾名らしいのですが、モデルになった青年は実在していたらしく、ミンケはなかなかのハンサム青年で、その生涯で三人の美女に愛される果報者です。
最初は地元で大農園を所有するオランダ人(後にアヘン中毒で変死する)と聡明なジャワ人女性との間に生まれた薄命な美女、二人目は支那大陸での辛亥革命に命を懸けている支那人の美女活動家、そして三人目は正式に結婚したアンボン島の酋長の娘ですが、この女性は夫を守るために拳銃を使うほどのじゃじゃ馬という設定です。
ミンケは自らの言論活動のためにジャワ島の色々な場所に鉄道や船で移動するのですが、その場所の風景描写がとても素晴らしく、アンチョールやボゴールなどの様子は写真は無くても、当時と現在の風景を重ね合わせられるような錯覚に陥りました。
この物語の時代は19世紀から20世紀に変わる頃で、世界は戦争の世紀に突入しており、特に支那大陸の混乱と軍閥政治に苦しむ民衆の姿を描いたパールバックの『大地』はこの作品の30年くらい前に書かれていますが、この一連の作品を読み終えた後に、ふとパールバックの『大地』を思い出しました。
インドネシア人の知人と歴史の話をすると、インドネシアはこの時代の『事実』の延長線上に現在があると実感させられるのですが、我が国日本は大東亜戦争後のGHQやコミンテルンにとって都合の悪い戦前の事実はほとんど無かったことにさせられ、73年経った今でもそれが日本人自身で維持されるばかりか強化されていることに誠に心が痛みます。