インドネシア赴任当初の強烈な思い出
1980年に初めてインドネシアの土を踏んだのですが、当初は驚く事ばかりでした。
その中から強烈に覚えている、忘れられないいくつかの思い出をご紹介します。
1.空港出口でのタクシー客奪い合い
最初に降り立ったのは現在のスカルノハッタ空港ではなく、空軍の本拠地であるハリム空港でした。
夕刻で薄暗くなった空港の出口に向かったところ、タクシー運転手の集団が迫って来て、自分の客にすべく荷物の奪い合いを始めました。
10年以上後に、ネパールに旅行した際に、カトマンズ空港でも同じような光景に出会い、懐かしいなあと感じた次第でした。
当時はゴルフ場でも同じように、キャディー同士の客の奪い合いがあり、キャディーバッグのベルトを引きちぎられることもありました。
2.サンヨーが潰れた
インドネシア語がまだあまり出来なかった頃、女中さんが『旦那様、サンヨーが潰れました』と訴えるので、えーーーーーと驚きました。
手招きするので付いて行くと、そこにあったのは地下水を汲み上げる『サンヨー』のポンプでした。
インドネシアではポンプはサンヨー、カメラはコダック、バイクは(ホンダ)ベベックと呼ばれることを後で知りました。
3.遠心力で外れたタクシーのドア
当時のタクシーはエアコンも付いていない、走るのが精一杯のおんぼろな車がほとんどでした。
いつか乗ったタクシーに至っては、交差点で右折した際に、遠心力で後ろのドアが外れて落ちそうになり、慌てて両手で引き戻したことがありました。
床に穴が空いており、地面が見えることは良くありましたが、ドアが外れるのは危ないので勘弁して欲しいと思った次第でした。
4.機長と副操縦士が抱き合って喜んでいた
ジャカルタからスラバヤまで時々出張で国内線の飛行機に乗ることがありました。
その日は暴雨の中を当時の国内空港であったクマヨラン空港(現在はジャカルタ産業展示会場)に着陸しようとする、オランダ製の古い小さなジェット旅客機に乗っていました。
南から侵入して海に向かって着陸しよと試みるのですが、雨風が強過ぎて何度も失敗を繰り返して、なんとか無事に着陸することが出来ました。
当時はコックピットのドアは開け放したままで、中の様子は丸見えだったのですが、着陸して停止した後に機長と副操縦士が抱き合って喜んでいたのを見て、かなり危なかったのだと痛感しました。
5.雨漏りで天井が崩壊
当時はほとんどの日本人は一軒家に住んでいました。
建物は広いのですが建付けが悪く、雨が降ると直ぐに雨漏りがするような家でした。
大雨が続いたある晩、物置にしていた部屋で爆弾が破裂したような音がしたので、恐る恐る見に行ったところ、天井に溜まった雨水の重さに耐えかねた天井が落ちた音でした。
ある時は、朝起きてベットから降りた際に、ドブンと言う音がしたのですが、一晩中降り続いた雨のせいで、寝室の床上20cmくらまで浸水したのでした。