業務分野別の経験的アドバイス小話【安全衛生編】
以下の小話は、作者が1981年から1995年の間、ジャカルタにあるヤマハの楽器工場で、生産課長そして工場長として駐在していた当時の経験や実例を基に、会社の業務または部門別に、日本人駐在員にとって役立つと思われることを書き出したものです。中には昔話になってしまった事例もあるかもしれませんが、インドネシアの良い面、悪い面を感じとってもらい、現地で仕事をする際のアドバイスになれば幸いです。
【絵に描いた餅のシートベルト】1980年代末ころだったと記憶していますが、運転者と同乗者に対してシートベルトの着用が法律で義務付けられました。その時に話題になったのは、シートベルトが印刷されたようなシャツを着て、警察官の目をごまかすドライバーが現れたことでした。インドネシアの人達の安全に対する意識を上手く現わしているなあと感心しました。ニュースを観ていると、今でも通勤電車の屋根には大勢の人が張り付いており、ヘルメットの紐を締めているバイクのライダーは稀です。気候とか経済的な理由もあるかもしれませんが、当時と何も変わっていないなあと感じています。
【牛乳で労災軽減?】塗装や接着加工を委託していたある外注工場を訪ねたときのことですが、もうもうと煙る塗料の霧の中でスプレーガンを操っている作業者を目にしました。もう少し作業環境を良くしないと体を壊すのではないかと、そこの社長に意見したところ、彼には毎日2回牛乳を飲ませて体力を着けさせているから大丈夫、との脳天気な言葉が返って来ました。逆に、日本企業は安全衛生や福利厚生にお金をかけ過ぎだ、とも言われてしまいました。
【隣の工場がまた火事だ】隣と言うかこちらから見たら裏の工場が火事になり全焼しました。向こう側は建築規則に反してフェンスに密着する形で建屋があったため、炎はこちらの工場にも届く勢いでした。幸い、社内で組織していた自主消防団が活躍し、延焼は免れました。後で判ったのですが、あの火事はオーナーが現金欲しさに火災保険をかけてから放火したとのことでした。その数年後、またしても裏の工場が火事。これも新しいオーナーによる火災保険目当ての放火だったようです。社内の自主消防団は本当に役に立つ、頼もしい組織でした。年二回の訓練の時もそうでしたが、お祭り的な(と言っては少し不謹慎ですが)イベントになると物凄く張り切る人達でした。