インドネシア駐在を100倍意味あるものにするために
現時点でのインドネシア進出日本企業は15,000社くらいと推測されます。
仮に駐在員の数を一社当たり2名とすると30,000人くらいの日本人がインドネシアで仕事をしながら暮らしていることになります。
今から25年前までは私もその一人でした。
1980年から1995年までの15年間のインドネシア駐在時代は、これまでの人生で一番充実した時間を持てた時代でした。
当時を振り返って見ると、もっと色々なことにチャレンジしてみるべきだったと思うことが多々あります。
そんな思いを込めて、インドネシア駐在を100倍意味あるものにするためのアドバイスを、老婆心ながら述べてみたいと思います。
■仕事編
1.経営者としての貴重な体験
日本の本社では組織の中の一員として仕事をすることが多く、社長や工場長のように経営者の立場で仕事をする機会はなかなかありません。
しかし、インドネシアにおいては、特に中小企業の場合は、本社での仕事の分野に関わらず現地法人の経営責任者として仕事をする機会が与えられます。
多くの場合は、それまでの仕事は製造や営業であったため、経理、財務、税務、人事、労務、貿易、渉外などの仕事は経験が無く最初の頃は戸惑うことが多いでしょう。
当初は失敗も多いでしょうが、そこで怖気ずに泥縄式で勉強すれば良いのです。
泥縄式と言うとあまり聞こえは良くないのですが、必要に迫られて勉強したことはスポンジが水を吸うように覚えることが出来て、しかも実務を通じて体得するため一生忘れることがありません。
2.異人種から学べる貴重な体験
単一民族で構成される日本では、異人種と親しく交わる機会はほとんど無いのですが、インドネシアにおいてはプリブミと呼ばれる主にイスラム教徒のマレー系インドネシア人、そして華僑と呼ばれるキリスト教徒あるいは仏教徒の華人系インドネシアと嫌でも毎日のように接することになります。
この際に大事なことは、自分は二千年以上の歴史を持つ神仏習合の日本人であることの自覚と誇りを持ち、かつ、彼らの宗教や民族としての歴史に心からの敬意を持つことです。
に日本人を基準にして彼らを見たり評価したりしては絶対にいけません。
10人の日本人駐在員の中、2人はインドネシアをこよなく愛するようになり、6人はインドネシアが好きでも嫌いでもなく、2人はインドネシアには二度と来たくないと言うほど嫌いになるそうです。
インドネシアを嫌いになる人達はおそらく、日本人を基準にして彼らを見たり評価したりしたのでしょう。
インドネシアをこよなく愛するようになった日本人に共通していることは、日本が如何に特殊に国であるかを体得することでしょう。
これは日本を離れて海外に永く住んでみないとなかなか実感出来ないことで、このことが日本を益々大事にしようと思うようになるようです。
■生活編
1.北半球から南半球へ
日本は北半球の上の方にありますが、インドネシアは赤道直下ですが、ジャワ島は南半球に位置します。
南半球なので太陽は西から昇ると言うのは冗談ですが(信じた人もいました)、日本とは反対に太陽は少しだけ北に傾き、一年中朝6時前後に夜が明けて、夕方6時前後に日が沈みます。
日本の秋と冬に重なる雨季と、春と夏に重なる乾季の違いは多少ありますが、一年を通じて平均気温は28度で日中の日向は暑いですが、極めて過し易い南国の楽園です。
四季の移り変わりに追われる日本人が勤勉にならざるを得ない理由を体得出来るでしょう。
2.15,000以上の島々が織りなす豊かさ
インドネシアは15,000以上の島からなる島嶼国家です。
実は日本も6,000前後の島があり、世界有数の島嶼国家なのですが、島々が織りなす資源の豊かさではインドネシアに及ばないでしょう。
神から与えられたと思いたくなるような、観光資源、鉱物資源、石油資源、海洋資源、食料資源、水資源、森林資源、生物資源等々数え切れないほどの資源が広い国土と領海に存在しています。
これらの豊かな資源を自分の目で見て、食べて、嗅いで、触って、聴いてみる機会を作るための旅行計画を立てるなどは、間違いなく至福の時間になるでしょう。
3.宗教と文化の坩堝
インドネシアのカレンダーにはイスラム教、キリスト教、ヒンズー教、仏教の祝日が定められているように、一部の宗教を除いて信仰は自由です。
これらの宗教と共に色々な文化が定着し、建築物、料理、衣装、踊り、歌などに煌びやかに息づいています。
そこには中国、インド、アラブ、ヨーロッパからの風情が混在し、少し気を付けて見てみると、長い歴史の足跡が刻み付けられていることに気が付きます。
日本とは異なる悠久の時を偲ぶと共に、この頃の日本はどんなだったのかと想像することで、一層楽しい一時となります。