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2021.07.06 インドネシアの耳より情報

専制時代を反映したインドネシア語

1968年から30年間続いたスハルト政権の下で、長く情報大臣として大統領の報道官の役目を果たしたHarmoko氏が亡くなりました。
氏は大統領の言動を伝える際には必ず”Menurut Petunjuk Bapak Presiden”『大統領閣下のご指示によれば』という枕詞を付けたので、情報大臣というよりは大統領の報道官としての印象が強かったような気がします。
また、ほとんどご自分の意見を述べることはなく、もっぱら”Menurut Petunjuk Bapak Presiden”を伝えていたので、名前のHarmokoは”Harus Omong Kosong”『中味の無いことを喋らなくてはならない』の略語だと庶民から嘲笑されていました。
当時庶民の間で良く使われていた隠語として”ABS”と”AIDS”がありました。
“ABS”はAsal Bapak Senangの略語で、Bapakはスハルト大統領のことで、『大統領が喜びさえすれば良い』、という皮肉です。
“AIDS”はAku Ingin Dekat Suhartoの略語で、『スハルトの近くで仕えたい』という皮肉です。
また、父親であるスハルト大統領の七光りを利用して権勢を誇っていた三人の息子、三男のTomy、次男のSigit、長男のBambangの頭文字を組み合わせてTOSHIBAと呼んでいました。
1970年代から1990年代は、専制政治を敷いたスハルト政権に反発する庶民の隠語が飛び交った時代でもありました。