初めてインドネシアの地に立った1980年
初めてインドネシアの地に立ったのは1980年で、ハリム空港でした。丁子入煙草と椰子油の臭いの中とオレンジ色の街灯の下を、ヘッドレストもシートベルトも無いトヨタコロナに乗って案内され、最初に泊まった所はクバヨランバルーのホテルクマンで、とにかく強烈にかび臭かったのを覚えています。まだ高速道路はジャカルタとボゴールの間だけで、ジャカルタ市内の大通りは街路樹が立派でした。1980年当時のジャカルタ。
この時はまだ出張ベースで、インドネシア語もほとんど分からなくて、ホテルのレストランで朝ご飯でを食べる時に卵焼きが欲しいけれど、英語も上手く通じなくて困っていると、同行していた年配の人が鶏の鳴き声を真似したところ、ボーイはOKと言って卵焼きを作ってくれました。いまでも忘れられない楽しい思いでの一コマです。
一年後に赴任した時は暫く単身でしたが、結婚したばかりで寂しい毎日でした。ある日の帰りは雨が降っていたのですが、カーラジオから流れていたBunga Sedap Malam(直訳すると夜の快い雨)と言う歌が心に染みて、それからは毎日のように通勤の車の中で聴いていました。夜の雨の中、オレンジ色に照らされた街路樹の下、この歌を聴きながら新妻のことを想っていた時代がとても懐かしい。
週末は同僚と一緒にコタ(中華街)にある日本式のカラオケキャバレーに良く出掛けました。当時のコタは不夜城の如く賑やかで、コタ地区に入っただけで気分が高揚したものでした。行き付けのお店のお姐さんは気を利かしてくれて、もう来なくなった他のお客のボトルの中身を私のボトルに移してくれていて、私のボトルはいつも一杯でした。
当時はまだショッピングモールもなく、日本食材もほとんどありませんでした。しかし、どことなくほのぼのと思い出が多い時代でした。