ISO9000の普及は早かった
日本企業がまだISOに懐疑的だった1980年代、インドネシアの地元企業では先を争ってISO9000の取得に努力していました。特にヨーロッパ向けの製品を作っていたところについては言うまでもありません。
最初はシンガポールにある認証機関に申請したようですが、そのうち国内にも認証機関が乱立し始めました。
当時良く耳にしたのは、『うちはISO9000を取得したから品質レベルが高い』という自慢話でした。
製品の絶対的な品質レベルとISO9000の取得とは別ものでしょ、と言ってもなかなか同意を得られませんでした。
インドネシアの製造業のほとんどは華僑資本のオーナー企業であるので、トップダウンで展開するISOのような活動は導入し易いのかもしれない。
日本の製造業が得意とする、下から積み上げの改善活動や小集団活動による品質向上は、現場の人材教育に関心を持たない、彼らの経営習慣には馴染まないと思われます。
従業員の間で何かサークル活動やスポーツチームを作る場合、最初に言って来ることはユニフォームを作るための費用が欲しい、というおねだりでした。
活動の中身を詰める前にまずは体裁を整える、いわゆる形から入る人達なのですが、そう言う意味ではインドネシア華僑の社長さん達も似たような傾向があるようでした。
社長室の横にショールームのようなISO専用のガラス張りの部屋を作り、部屋の中の棚に綺麗に並べられたISOのファイル群と立派な額に入れられた認証を、訪問客に見てもらう時の社長の表情はとても嬉しそうでした。
自社内で担当させたISO推進スタッフも、時としてそれと同じような方向に進もうとするので、形ではなく、中身が大事であることを、口を酸っぱくして説いたものでした。
中身とは何かですって? それは、作業者一人一人が品質を作り込むことの意義を理解させることでした。毎週月曜日の朝礼ではそんな話ばかりをしていました。