2022.12.08
コンサルタントの独り言
照井清一さんを偲んで
照井清一さんが93歳でこの世を去りました。
1980年代、ヤマハのインドネシア工場では電子オルガン生産における木工部門の拡大と強化をしていました。
照井清一さんは当時まだ50歳代でしたが、1年間の長期出張で2回にわたり、インドネシア工場の木工職場の技術指導でジャカルタに単身で滞在していました。
現地の従業員とのコミュニケーションを取るために、毎日の通勤の車の中でインドネシア語を勉強し、夜には宿舎の外に出て近所の夜警や使用人達と親しく会話を楽しみながらインドネシア語を習得していました。
天真爛漫な性格は工場のインドネシア人から愛され、手塩にかけて育てた弟子たちは、その後にヤマハの輸出生産拠点として設立されたいくつかの新しい工場に分散し、楽器製造の礎になっていることは間違いありません。
照井清一さんの後にも多くの技術指導者がインドネシアに来ましたが、先人の一人として指導者の手本になったことは疑いの余地がありません。
あれから30年以上が経過し、遠い昔のような気がしますが、照井清一さんのいつもの笑顔は今でも忘れません。
ご冥福をお祈りいたします。